これからの本屋さん。

こんな記事が話題になっていました。

本の冒頭を印刷して作品名も作者もわからないというもので、着想も面白いですしなにより装丁も綺麗で興味をそそりますね。

今はアメリカなので殆ど買えてませんが日本に居たときは本屋、古本屋、Amazonをそれぞれの目的別に使っていて、この記事のような取り組みこそ本屋の生き残る道だなーと思いました。

値下げなどをできないのでAmazonのようなオンライン書店の優位性はDVDやゲームに比べると決して多くないように思えますが、実際自分が買う本が決まっている場合、書店に行って探す手間も無いかもしれないというリスクもなく簡単に購入できる強みはやっぱり大きいです。
それに加えて同じ画面から中古本の購入もできるので尚更。

じゃあまちの本屋の存在意義はなくなるのか?という疑問は真っ向から否定したいです。
正確に言えば「自分が欲しいと思っている本を買う場所」としての存在意義は確実に薄くなっていきますが、冒頭の記事のような「自分が予期していない本との出会いの場所」としての価値はむしろ高くなっていくと思います。

ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話


Amazonのレビューやレコメンドは確かに便利ですが、自分の志向性に合わせているので、結局新たな出会いは少ないです。
自分がみようと思っていた分野の隣の棚にたまたまあった本が人生を大きく変えることもありますし、そういう偶然性があるのが実店舗の強みですよね。

それを付加価値としてはっきり突き詰めていくと分野毎のコンシェルジェがついた代官山蔦屋や一見雑多に並んでいるようにみえながらもはっきりとした哲学の元に選ばれている松丸本舗のような本屋になると思います。

何万冊もある中から自分の人生に大きな影響を与えるようなものがこの中にあるかもしれない!と思うと本屋での本探しはある種の宝探しみたいにきらきらした体験ですしそれを手伝うナビゲーターとしての素敵な本を知っている書店員がいる本屋さんはこれから今までよりも価値ある本屋になっていくでしょう。





少し話は逸れますが、この「本の冒頭」ってのは作者が推敲に推敲を重ねて洗練させたものなので印象深いものが多いですよね。
特に淘汰を受けてきて生き残ってきた所謂古典といわれる作品の冒頭にはそれだけで人を惹きつける不思議な魔力のようなものすら感じられます。

「恥の多い生涯を送ってきました」太宰治人間失格

「山路を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」夏目漱石草枕

「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」吉田兼好徒然草

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」作者不明「平家物語

「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」太宰治走れメロス

吾輩は猫である。名前はまだ無い」夏目漱石吾輩は猫である

と挙げていくときりがありませんが、特に個人的に今まで読んできたものの中で圧倒的なのはやっぱり


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
です。

雪国について語ると長くなるので語りませんが…


このように有名なものではなくても先入観なく純粋に自分にとって刺さる本との出逢いはそうそう無いと思うので行ける人は紀伊国屋新宿店へ足を運んでみてはどうでしょうか。