いつだって隣の芝生は青い事を知る。

"Very Important Moss (like VIP)" says the sign - 無料写真検索fotoq
photo by birdfarm

シリコンバレーに来てから色々な人に会うことができています。
スタートアップのCEOや有名なエンジニア、ベンチャーキャピタリストやデザイナー、日本の大学を休学したり高校卒業後そのまま渡米してきた学生…。
FacebookTwitterなどのSNSを使ってどんどん人に会う行動力のある人達も多いです。

僕は別段人見知りではないし元来おしゃべりではあるんですが、相手に自分が提供できるものがあるのか、と考えてしまう節があるので自分から連絡をとる時は断られたらと考えて、外堀を埋めながらになってしまいます。
それでも有り難いことに普段のブログやTwitter、1度お会いした人からの紹介などで「1度会ってみませんか?」と声を掛けてもらえることが多いです。

シリコンバレー留学も半年が過ぎて年内に改めて振り返ろうと思いますが、こっちに来て1番大きな価値は日本にいたら簡単には出会えない人達と繋がりやすいことです。

ただ、そういった人達と会うとある種の劣等感とも焦燥感ともつかない気持ちを抱きやすくもなります。

シリコンバレーにいると、やはり圧倒的にプログラミングが出来る人が多いのでまずプログラマーか否か、となります。
一応一通りJavaScriptPHPCSSなどの基本はやったので最低限のことは分かるんですがプログラマー同士の本質的な話には入っていけません。
そしてもちろんスタートアップのCEOでもなく、スタンフォードビジネススクールに通ってるわけでもなく英語も中途半端なただの学生だということを実感します。
会社を作ったわけでも新しいプロダクトを作っているわけでもない。ただの学生。
そういう時に焦りを感じることも多いです。

ただ、そういった時に意識するのは隣の芝生は青いということです。
人と会うとどうしてもその人の持っているスキルや才能などに目が行き、自分にはそれが無いという風に感じてしまいがちです。
ネイティブレベルに英語が話せる、プログラミングが出来る、デザインが出来る、自分で会社を作った…。

それでも反対に人から見たらうらやましがられることも多々あることに最近気が付きました。
自分にとって起業と英語を学ぶために大学を辞めてシリコンバレーに直接来たっていうのは当たり前のことで意識するようなことではなかったんですが、よくそんな決断をしたねと言われます。
それは先日書いた記事にもあるように自分なりにリスクとリターンを考えた上でのことなんですが。

就活をしないという選択肢。

そして21歳という年齢は自分が思っている以上に大きな価値らしいです。
大学を辞めたこともある意味でフットワークの軽さに繋がっていて、休学などをしていると就活との時期や単位、卒業の時期などを考えなければなりませんがそういった心配の必要もなく、来年は日本に帰国する前にNYに1ヶ月ほど滞在してその後ヨーロッパを回ってから帰ろうと計画することも出来ます。
今のところは日本に帰ったらそのまま日本で仕事を、と考えていますがそのまま来年大学2年生としてシリコンバレーに残ることも4年制の大学に編入する道もあります。
時間と労力とお金とやる気の問題でそれはほぼありえないんですが。

そういった意味で30歳、40歳になってからや結婚して子どもがいたりした場合に簡単には取れない選択肢を持てているということはそれ自体で大きな強みにもなり得ると思います。

しかし、プログラマーの方などをみていると特に感じるのは1つの事にひたすら向きあって辿り着くことができるスペシャリストへの羨望があります。
自分の性格的に1つの事に集中することより色々なことに興味が向きがちなので時間を忘れるほど熱中できることがあることが羨ましく思えることがあります。
それでも逆に、視点を変えると自分だってただぼーっと21年生きてきたわけじゃないことに気が付きます。
漫画や映画、小説、音楽やお笑い、ラジオなどサブカルチャー全般や心理学や経営学、進化生物学や宇宙など文系理系問わず学問的な興味は広く、カメラ、スノーボード、ギターなど趣味も多いからこそ見えてくることがあります。

1つの映画を観るときに、ただその作品が面白いかどうかだけではなく他の映画や漫画、音楽の影響など様々な視点から見ることで何千本も映画を観てきたスペシャリストには見えないことが見えたりすることもあります。

スペシャリスト的な生き方をする人達は反対に自分の視野が狭いと思っていて、他の分野のことなどを網羅的に押さえるジェネラリスト的な生き方に憧れることもよくあるようですし、結局はお互いないものねだりなんですよね。

自分が欲しいものを他の誰かが持っていても、他の誰かが欲しいものを自分が持っている。
そういうことを意識するだけで余計な劣等感を感じる必要はなくなります。

例えば同じ年で1万時間プログラミングに当ててきた人や、流暢に英語が話せる人がいたとして、その人達と同じだけの時間が自分にも与えられてきた以上、自分にも何か他の人が持ち得なかったことを持っているはずです。

それはもう生き方の違いでしかなくて、スペシャリストの人達は刀鍛冶などのように1つの事に打ち込み続ける職人、いくつかの分野を横断的に知る人達は画家であり科学者であり哲学者、のように複数のスキルを持つルネサンス期の芸術家のようにそれぞれが持つ役割が違うだけです。

そこで安心するのではなく、劣等感や焦燥感などネガティブな感情で人に影響されず自分なりに努力できるために。

隣の芝生が青かろうが、自分の芝生を育てることに集中すればいいんだと思います。
焦らずに進んでいく中で自分にしかできないことを見極めていきたいです。