便利は情緒を駆逐する。

年賀状2009 - 無料写真検索fotoq
photo by yamakazz

「便利な世の中になったもんだなぁ」

先日行ったサンフランシスコのカフェで「おすすめは何?」と店員さんに聞いた。

エスプレッソかカプチーノね」「じゃあカプチーノで」と注文してクレジットカードを渡すとレジについているカードリーダーに通された。サインをしてチップを選択し、横で待つように言われる。

ラテアートを崩さないように慎重にカプチーノを運びながら便利な世の中になったことを実感した。

一見なんの変哲もない普通の会計だけど、実際はレジがiPadでカードはそこについているSquareに、最後のサインもチップもiPadの画面で完結するという流れが当然の様にあり、テクノロジーがもう意識されず日常に同化しているなーと感じさせられました。


この10年だけを見ても本当に色々変わりました。

メールと電話と着メロくらいしかなかった携帯電話は今や音楽を聴き、Youtubeで動画を見て、撮った写真をその場でFacebookにアップし、地図もニュースも見られるものになりました。
Suicaをかざせば改札は開き、地球の裏側にいてもSkypeでビデオ通話ができる。
コンビニで電子マネーが使えればAmazonで店に行かなくたって買い物ができる。

日々少しずつ進化するテクノロジーが1度生活に溶けこんでしまうとそれ以前の世界が想像するのが難しくなります。
5年前に新しく出会った人と赤外線でメールアドレスと電話番号を交換していた頃に、FacebookTwitterで”繋がる”という感覚を想像することも難しいでしょう。
それほど技術の”以前”と”以後”は別物なんですよね。

色々なことが様々な形で便利になっていきます。
でもその裏で失われているものもあるんですよね。

これはものすごく主観的で感情論なんですが、テクノロジーの進歩による最大の喪失は「情緒」だと思います。

情緒。

これは以前と以後を知っているかどうか、それをどう捉えるかによっても変わってくるのですが、例えば「年賀状がメールやSNSでのやり取りに代わること」に寂しさを感じる人は結構多いんじゃないでしょうか。

筆不精で高校の時に「年賀状、出さないから」と宣言してから1枚も書いていない僕が言うのもなんなんですが。

例えば「同窓会の出欠確認の手紙がFacebookのグループメッセージで届くようになる」
例えば「お爺ちゃんからもらうお年玉が電子マネーでのやりとりになる」
例えば「好きな子にプレゼントする自分が好きな本を電子書籍のデータで渡す」

これらのことはドライに考えるなら便利で効率的で余計な手間もいらないし環境にもいいのはわかるんですがなにかが違う気がしてしまいます。

子供の頃からSNSやメールが当たり前に存在して、写真も音楽も映画もデータで消費する世代にとっては不自然には思わないだろうし当たり前に感じるんでしょうけど、少なくとも年賀状を印刷して、あけましておめでとうの言葉をまだ明けてもいない12月に書いてポストに投函し、正月の朝に郵便受けに取りに行き自分にはどれだけ来ているだろうかと期待しながら家族宛の年賀状と自分のを選り分ける経験を知っている僕達にとってメッセージでの明けましておめでとうはどこかしらの寂しさを感じてしまいます。

「これ面白いから読んでみて!」そう言って気になる子に貸した小説や漫画が返ってきた時にページの間に挟まれた小さな手紙に書かれたお礼の言葉に感じるときめきや、地元の小さな駅から上京する友人が少し折れた切符を持って改札に向かう時の寂寥感、ぽち袋に入れられたお年玉をいくら入っているんだろうと考えながら開くときのわくわく感に、大好きな歌手のCDを買って歌詞カードを開いてCDデッキに入れる時の高揚感、そういったものがなくなるっていうのはなんだかなーと思ってしまいます。

僕はSFとかテクノロジーが好きなので、iPadでニュースを読み、そこに載っている動画をそのまま再生して、という流れに、それは2000年に制作されたジュブナイルで描かれた20年後の未来のデバイスと変わらないじゃないか!と感動したりSquareは財布を出すという決済の行為そのものを変える可能性がある!とわくわくしたりするんですがその一方で情緒というかドラマ性というか、そういったものが失われていくことの悲しさも同時に感じます。

往復はがきで出した同窓会の出欠確認の手紙が返ってきて昔好きだったあの子はくるのかな?と思いながらハガキを裏返すのが演出的に映えるんであってFacebookでみんなに「同窓会出れる人教えて(^O^)」って投稿した数分後にポコンッ「参加します」っじゃないんだよ!っていう。

「お爺ちゃん明けましておめでとう!」「はいはいおめでとう。今携帯にお年玉送るからね、」ッシャッリ~ン\10000円入金されました/っじゃないじゃん!っていう。

情緒、というものは不便さや手間に宿るんだなーと言う事と、こういったことを上の世代だけじゃなくてテクノロジーに自然に触れてその恩恵を最大限享受してきている20代も相当数感じていると思うんですが、それは特にここ数年変化を当たり前だと感じる価値観が追いつけていけない程に技術的な進歩が加速しているんだと思います。

Twitterで面白い出会いがあったりFacebookで以前なら卒業した後連絡がつかなくなっていた友人の近況を知れたりと新しい価値観や生活スタイルが生まれていってどんどん便利になっていく世の中の裏で失われていくもの達をたまに進歩の足を止めて振り返ってあげたいなと思う今日この頃。